na2kox's diary

熱しやすく冷めやすい人間の生産性のないくだらない日々を綴る備忘録です。

新選組ラジオ感想

すごく昔のラジオ感想が出てきたけど、舞台SHINSENGUMIを見た今個人的に結構タイムリーだったので記念に。多分糸井さんと山本さんのラジオ。

時代背景の違いから見た新選組

「彼らをただかっこいいって今の時代の人が言うのは、僕はどうかと思います」

この山本さんの意見は同感。時代そのものも違う、見方も違う、感じ方も違う、それを一緒にしてしまった上から新選組を見てしまったら残酷だと思うんです。

例えばその当時は、新選組は京の治安を守る為に結成された京都守護職支配下の役人警察隊のひとつだったわけです。手当たり次第に人を斬っていた訳でもなく、捕縛して取調べ当局に引き渡すというのが通例。人斬り的な言われ方は誇張だし、新選組が全て正しかったとは言いませんが、怖い存在、悪者と断定するのは安易すぎる。当時の人斬りは大胆に言えば、勤皇討幕派ですよ。それを守っていたのが警察の役目新選組。でもその討幕派が天下をとってしまった。いわゆる「勝てば官軍」ってやつですよね。歴史には勝者と敗者がありますから。新選組はいわば、負け組なわけで。

山本さんが言っていたように、今と同じ視点で見るのは難しいことだと思います。全く時代背景が違いますから。今の価値観で決め付けてあの時代を感じて畏怖するのもおかしなことですし、あの動乱の幕末に彼らと同じ立場に立って考えるしかないと思う。だからこそあの時の彼らと同じ場所に立って同じ風を感じようとした山本さんは凄いと思う。そういう感性があの土方を生んだんだなと。ただ単にかっこいい人、と感じただけではなくて、彼らを客観的に見た時に怖いと感じたその感性も大事にして演じてくれた。その気持ちがあるからこそ、洋装で刀を抜いた時の恐ろしさも感じたんじゃないでしょうか。その辺の話もとても興味深かったです。

余談ですが。実際の所、切腹は多かったですが(鳥羽伏見まで負け知らずな新選組にとって戦死の方が少なかった)それ以上に円満に除隊した人、解雇された人もいたようですよ。手続きを踏んで正当な理由があれば除隊できたようです。

土方歳三を感じた場所。

“ここには絶対土方さんの何かが入ってるはずだ”って俺は思いましたね。手紙なりなにか自分が身に着けてい
たもの。わかんないけど絶対入ってますよ。

京都で梟首された首が土方歳三によって葬られたという説と遺髪が埋葬されているという説があります。当時、色が白く背の高い武士が、人の頭が入るほどの大きさの箱のようなものを大事そうに抱えて、この墓を作るのに指揮をとっていたという話が伝わっています。この武士が土方だったのではないか、と言われています。その箱には勇の首が入っていたのでは、とも言われていますが、これは無理がある気もしますが、山本さんが言っていたように何かお墓へ入れる大事なものを抱えていたのかもしれないですね。

「なんでこんなに上の方にたてたんだろう?」という話もその場所に行かなければわからない事でそういう事も意識しながら、耳で聞くのではなくその時代に思いを馳せているっていうのが、凄いなぁと。まさにお前の知恵は生きた知恵だを地でいっている。建立当時は参道もなく近藤の墓の所在を知られ敵軍から破壊をうけないように、との考えだったそうです。その為、墓石には近藤勇の名は一切刻まれず、万が一発見されても近藤の墓だと断定されないように徹底して建立したそうです。この徹底的な考えも大事な墓だという考えも会津と土方が関わっていると思えるんですけどね。

土方は死に場所を探していた?
新選組がなぜ好きなのかと一言で答えろと問われたら、あの幕末の動乱の時代に新選組だけが一度たりも主君を裏切ることなく突き進んで行ったからだと返します。その最期を飾ったのが土方だよね。降参なんぞしたら近藤に合わせる顔がない。もちろん損得抜きにしても道義的に降参なんてできるはずがない。って気持ちはあったでしょうし。

土方が死に場所を探していたとはよく言いますが、よく考えるのが、土方があの函館の地で命を落とすことなく、もしも降参をしていたら新しい時代に生きているでしょうか?そうはどうしても思えないんですよね。あの時、斬首されて京に三日間晒し首されるような局長がトップのあの新選組の鬼副長ですよ?しかもまだ坂本殺しを薩摩に疑われている。殺されるのが落ちじゃないでしょうか?あくまで推測ですけどね。多分、あそこで死ぬしか道はない事はわかってたんでしょう。

それでも私は土方は死ぬ場所を探していたとは思いません。もしそうなら会津と運命を共にしたんじゃないでしょうか。恩を感じているだろう会津を捨ててまで向かった蝦夷地っていうのは、土方さんにとって新しい生きる場所だったんじゃないか、と。ほんとに新しい国を旗揚げ出来るなんてそんなに純粋な思いは持っていなかったでしょうが、その話に乗るのもここまで来たら悪くねぇ位の気持ちだったんじゃないかな、天性の喧嘩師は。死に場所を探していたという方が美談のように残るかもしれませんが、私は死を恐れなかっただけであって、死に場所を探していたとは思っていません。

だから糸井さんの言っていたある種の自殺っていうのは、違うと思う。山本さんが言っていた「点をうつための」っていう方が共感できる。この話を聞いていたら泣けてきて、いつか山本さんが函館で最期まで戦い抜いた土方を演じてくれたら、どんなに嬉しいだろうと夢になりました。


武士道とはそもそも。
武士道なんてなかったという糸井氏発言は、精神的な意味合いの事を言ってるんですかね?糸井氏発言による武士道というものは「葉隠」論に近い物を感じるんですが。「武士とは死ぬこととみつけたり」って有名なあれです。新選組の武士道というものはちょっと違いますよね。時代の変化と共に。織田信長豊臣秀吉徳川家康の交代を経て天下統一が為された後、血気盛んな武士達を統率して基盤を作る為「武家諸法度」という物を発布した。これが原点ではないかと。内容としては、武士が其々の主君に忠実に、上下関係を守り、道徳的にという事を書き連ねているわけですが。この決まりを徹底させて徳川の政権を安定させようという企みも感じますよねぇ。うまいこと考えますよな。その通り徳川3百年って歴史が続いたわけですけど。あの糸井さん曰く突然変異の何年かに、忠を尽くし国に報いるという意味の「尽忠報国」をかかげた新選組の武士道は正にこれに当たるのではないかと。


殺陣の話。
私は山本さんと同じ意見で、人間が綺麗な部分と汚い部分があるように実戦もそうだったんじゃないか、と。思うに後者の意見は山南さんくさいよね?どう?
新選組は集団戦法が基本で、奇襲と待ち伏せを得意としていました。試合でもないわけですし、警察として取締りをしていた訳ですから特に卑怯とも思いません。だから綺麗なばっかりじゃやってけないだろうし、ある程度喧嘩に近いものもあったんじゃないかと。土方さんの使用していた鉢金を見てきましたが、傷跡が相当残ってました。その跡を見てもそう思いますね。土方さんなんかは、剣を持った相手に石を投げつけてひるんだ隙に自分の羽織を首に巻きつけて、そのまま締め落として生け捕りにしたって話が残ってる位ですからね。


というこんな話をチャノミバというか飲みながら出来たら死んでもいいです。
嘘ですもうちょっと生きたいです。